彼女の友達は友達

彼女の友達

彼女の友達で非常に可愛い子がいます。わたしと少し性格が似ていて、多少メンヘラが垣間見えます。しかし、彼女は敵を作りやすい傾向にあるように見えます。彼女自身の性格には難が多いようには見えないんですが、彼女の美貌が確かに周りの女子を的に回すのは納得できるほどなんです。

それとは別に彼氏との関係が上手く行ってないことを原因で、誰かに承認欲求を求めてるわけなんです。

その矛先がちょうどそこまで仲良くはないが、話せるぐらいの感覚で選ばれたのが私というわけです。

ずっと、電話で泣かれたり愚痴を聞いているが非常にわかるほどに私に興味がない。要は私じゃなくても良いのだろうが、私に電話してくる。確かに人に言えないような話を私にもしてくれるのだが、私が自分の話をするまで彼女から私に質問などしてこない。

なぜ私も彼女に付き合ってしまうのだろうか。結局、私も彼女に魅了されている一人なんでしょう。私がそんな下らない人間だということはわかってるんですが、なぜかずっと夜ふけるまで電話をしてしまいます。

あ、浮気したいとかそういう低俗な話ではないです。浮気は最低な人間がやることです。

友人からのコトバ

定義は覚える必要があるのか

覚えようとも勿論するけど、丸暗記みたいなのではなくて、その後に出てくる定理の証明とか問題とかで使いながらじわじわ身に付けていく感じ。

人に教えること

人に教えるには相手以上の理解が不可欠なのでいい勉強になりますぜ

読んでるだけで理解したつもりになってると、いざ使おうとしたときに使い方がよくわからないなんてことがしばしば起こります。

俺の高校の数学科の先生のありがたいお言葉に、 知ってることと使えることとの間には天と地程の差がある みたいなのがありました。数学やってると身に沁みますね(笑)

定義を身に付けるなら、その定義の後に続く簡単な定理を自分で手を動かして証明を書いてみるといいです。

自分で書いてみることで、分かってない所が明らかになることもあります。

数学を使う側の立場なら、 Fubiniの定理や中心極限定理のようなな大きな定理は証明できなくともよいですが、どういう条件下で使えるのか、またどのように使うのかを身に付けるために、やはり続く問題や定理で手を動かしてみるのがよいです。

あと数学書はしばしば行間(端折って詳しく書いてないが自明ではない/証明を要するところ)があるのですが、自分で手を動かしてみないと行間にはなかなか気付かないと思います。

数学を志す者はそういった行間を埋める中で思考法などが鍛えられていきます。

答えを見ること

答えを見ること自体は別段悪いことではないですよ。

一人で唸ってても自分の持っている思考法だげでは限界があるので、答えを見て解き方や思考法を身に付けるのも大切です。

問題になるのはその後で、類似の問題や関連する定理などの証明でちゃんと身に付いたか手を動かして確認してるかどうかが、その後の定着率や使いこなせるようになるかに大きく影響してきます。

数学者のコトバ

数学の学び方として挙げることができたのは、
結局, わからない証明は繰り返しノートに写してみること、
別証を考えること, 定理をいろいろな問題に応用してみること、
という誠に平凡なことばかりである。

自分のことを最低だとわかってる

彼女と仲良くなっているときほど絶対ケンカします。基本的に私からふっかける。彼女は泣く。そして終わる。

本当に自分のこと最低だと思ってます。しかし、ケンカしないと常に良いという状態が非常に怖いんだと思います。何が怖いのかわからないんですが、定期的に破壊しておかないと一気に瓦解したときにすべてが終わるようにがしてならないような気がします。

実際文章にして書いてみると、無自覚だったはずの破壊が理にかなってるのではないかと錯覚してしまうほどです。

最低だとわかってるけど、許してほしい。

許す心

想像力がある

私と彼女はお互いが満足する程度に想像力があって、お互いのこと尊重しあってます。 喧嘩も多々しますが、基本的には30分後には仲直りしてという感じです。

私の想像力は「こういうものを材料にしたらおいしいんじゃないか」とか「こういうプログラム書くといいんじゃないか」というものです。実に応用的で人間味のない想像です。

彼女の想像力は私には存在しないようなものです。私と彼女で学校から帰るとき、点灯してない自転車が横を通る時、「ライト点けろや!」とか、危ない車両に向けって「危ないやろコラ!」って叫んでしまいます。他にも、後ろから車が来てるのに、横一列になって通行の妨げになってる人たちに「おい、邪魔やろ」と言ってしまいます。

彼女はすべてに対して彼ら彼女らには理由があってそういう結果になってしまったんだって私に言います。許せる心を持ってほしいと、許すために補完するための想像力を持ってほしいということを言うことを常々言ってます。だから、私は少しずつ改善できてるように思います。

何が大事?

何が大事?

今日は24時間ぐらい起きてて非常に眠いです。なのに要領が悪いことが原因で課題も終わっていずに、本来先生が指定している違う私の得意なプログラミング言語でやっていこうかという気持ちでプログラムを書き始めてます。

さて、今日は研究室で先輩と話してる最中に、プログラムの綺麗さを考慮しないような発言をしました。「それに時間を割くのは勿体無い」と。確かに理解できる部分も大いにあるのですが、正直それには同意し兼ねるというのが本音です。自分だけのプログラムだけならば汚くても良い、と仮定しても昨日書いたコードは今日の自分のものではないので、非常に綺麗に書かなければならないと思います。

しかし先輩に言われたものだから動揺してしまったのも事実です。「もしかして、プログラムの綺麗さにこだわるより、数学の問題一問解いた方が身になるのでは」など。正直そうなのかもしれません。けれども私は将来数学者になるわけでも研究者になるわけでもなく一エンジニアとしてプログラムを書くことを生業として生きていきたいので、プログラムの綺麗さ、根本的な数学の理解など忙しいのです。だから楽しいのです。だから辛いことも一杯あるのです。

自分に言い聞かせることも重要ですが、基礎の数学の勉強を頑張りたいです。

最近私の専門分野を空で考えることが出来るように成りました。今まで、紙やパソコンが目の前になければ何も考えることができなかったのですが、少し想像力が付いたように思います。なんでなんでしょうか。

アウトプット

わかってるが

勉強においてアウトプットは重要な概念だと思います。アウトプットは様々ありますが、友人に教える、ブログに書く、プログラムを書く、数学の問題を解く。私はすべて総称してアウトプットと呼んでいます。アウトプットは重要であることは重々承知していますが、本気でがんばってることはあんまりブログや記事としてまとめたくありません。逆にサブレベルでやってることに対してはある程度載せても良いんじゃないだろうかと思ってしまう。

なんでなんですかね。重要であることは重々承知していますが、私という人間の弱さが全面的に前に出てる事象に近いと思います。 ややこしいことに、本気で頑張ってることは、記事にまとめる以外のアウトプットも苦手です。これは「人に教えたくない」以外にも「もし問題を解いたり、プログラムを書き始めたときに自分がわかってないことがわかるのが怖い」ということがわかってしまうから無意識のうちに逃げてしまうのかもしれません。

ほんと情けないですね。

幸せ

冷や汗

本当に私は幸せ者だと思います。 順調におとなになっているのを感じられるし、何より共に毎日過ごしてくれる最愛の彼女がいることが何よりの理由だと思います。最近ずっと思うんですがなかなか数学が手につかなくてそれだけが苛立ちの元になっているような気がします。

そんな最愛の彼女の携帯の中身を見られて、今までの所業がバレたのがとても焦りました。 まあ私はそこまでの傾奇者ではないので、多少女性に対するメッセージが見られたぐらいで済んでよかったです。 ヤバイなあ…。

そう言えば明日テストなんですが、全く勉強できてません。本当に幸せすぎてのんびりしすぎるのは良くないなと思いました。